2022年7月号
富士薬局ジャーナル
学校公開に行ってきました
梅雨も明け記録的な暑さが続く毎日ですがいかがお過ごしでしょうか。
まだ外を歩くとマスクをして歩いている人の方が多いと思いますが、ここ最近は日差し強いこともあって、さらに
深い帽子をかぶったり、サングラスをかけている人も多く、一昔前だったら「怪しい」と言われてしまうスタイルをみかけることがだいぶ多くなりました。
さて先日、小学二年生の息子の学校公開に参加してきました。授業は「生活」という単元で、学校周辺の地図を見ながら、配布されているタブレット端末のGoogleマップ内を散策するというものでした。
(Googleマップを知らない方は一度スマホ検索して地図をクリックしてみてください)。
授業は穏やかな先生ということもあってか、席を移動して他の子の様子を見に行ったり話に行ったりする生徒も多く、中には私の方にきて「だれのパパ?」とたずねる子もいたり、かなり自由で和やかな雰囲気でした。
私が子供の頃の授業と言えば、先生の話を聞いて、黒板に書いてある字を読んで書いて、と言ったことがほとんどでした。しかし、今回参加した授業は、生徒たちが自由に他の子の様子を見て、聞いて、教え合っているというものでした。
もちろん自由度が高いということはサボることもできますから一概にいい方法とは言えないかもしれませんが、自分で考えさせる授業としては面白い試みだと思います。
このような「考えさせる授業」を取り入れるようになった背景には、もしかしたら「考えない社会」というのがあるのかもしれません。
そもそも学問は、知らないことや分からないことについて、考えたり、自分なりに組み立てたり工夫したりして追及することだと思います。しかしITで便利な今の社会では、わからないことを簡単に検索して答えをみつけることができますし、例えば料理や工作でも、だれでも作れる簡単キットみたいなものがあるため、もう私たちはあれこれと悩まなくて済んでいるわけです。
そのためなのかは分かりませんが、知ることへの欲求や喜びが減ってないだろうかと思うことがよくあります。
特に若いうちは沢山悩み、考え、間違えるべきだと思っています。
だからこそ大人たちは、あえて答えを出さないという方法で子供たちに教えているのかもしれません。
一方で、今の大人たちは簡単に答えを出していやしないか、考えることを怠ってやしないか、ということも考えさせられる一日でした。